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デルタ航空の85年以上にわたる歴史をご紹介します
 

デルタ航空、農薬散布と航空郵便事業を開始
 

1924年:農薬散布業者のハフ・ダランド・ダスターズ社がルイジアナ州メーコンに創設され、これがデルタ航空の前身となります。同社は当時としては最初の農業用民間航空会社でした。

1925年:ハフ・ダランド・ダスターズ社は本社をルイジアナ州モンローへ移転します。同社の全18機の機材は、民間業者の保有機材群としては世界最大規模でした。運航領域は、南はフロリダ州、北はアーカンソー州、西はカリフォルニア州とメキシコにまで及びました。

1927年:ハフ・ダランド・ダスターズ社は、農薬散布サービスをペルーへ拡大します。1928年、同社はパンナム子会社のペリヴィアン航空として、南米西海岸に最初の国際郵便・旅客路線(リマからパイタおよびタララへ)を運航しました。

1928年:デルタ航空の創立者であるC.E.ウールマンがハフ・ダランド・ダスターズ社の買収活動を指揮します。同社が営業していたミシシッピ州デルタ地帯にちなみ「デルタ・エア・サービス」と社名が変更されます。社長はD.Y.スミス、初代副社長はC.E.ウールマンでした。

1929年:デルタ航空は、テキサス州ダラス発ルイジアナ州シュリーブポート経由ミシシッピ州ジャクソン行きの路線で初の旅客便を運航します。トラベルエアS-6000B型機の定員は乗客5人、パイロット1人でした。

Huff-Daland duster with pilot harris in the 1920s

旅客サービスの開始
 

1930年:アトランタへ就航を開始します。航空郵便の契約が不十分であったことから、旅客サービスをやむを得ず延期します。社名を「デルタ・エア・コーポレーション」に改名します。

1934年:米国郵政公社より「航空便第24ルート」を引き受け、旅客サービスを再開します。「デルタ・エア・ライン」としての運航が始まりました。

1935年:「スティンソン・モデルA型機」で、初めて夜行便を運航します。デルタ航空初のパイロット2名が搭乗する機材です。
 

戦争へ、そしてデルタ・エア・ラインへ
 

1940年:ダグラスDC-2型およびDC-3型の運航を開始します。「スチュワーデス」と呼ばれるフライト・アテンダントが乗務員に加わりました。

1941年:本社をモンローからアトランタへ移転します。

1942年:軍事活動に協力します。1,000機以上の機材を改造し、エンジン・計器類をオーバーホールし、陸軍パイロットや技師に訓練を施しました。

1944年:DC-3型貨物機の初めての改造機「デルタNo.43」が造られました。

1945年:正式な社名が「デルタ・エア・ライン」(Delta Air Lines, Inc.)になります。国家安全委員会により、乗客または乗務員の死亡事故ゼロで10年間に3億旅客マイルを運航したことを表彰されます。C. E.ウールマンは社長兼ゼネラル・マネージャーに就任します。デルタ航空は、生きた野菜の苗(16万株のトマトの苗)を空輸した最初の航空会社になりました。

1946年:定期貨物便の就航を開始。100万人目となる乗客が搭乗しました。航空業界初のシカゴ-マイアミ直行便を就航しました。

1947年:デルタ航空の保有する全機材の利用可能な総座席数は644シートになりました。死亡事故ゼロで5億旅客マイル以上を就航し、「ナショナル・セーフティ」賞を受賞しました。

1948年:トランスワールド航空(TWA)と米国初のインターチェンジ・サービスを実施します。このサービスでは、TWA乗務員がデルタ機にシンシナチからデトロイトまで常務し、一方、デルタ乗務員はアトランタ、マイアミ、ダラスに南下するTWA機に乗務します。

1949年:デルタ航空初のエコノミー・クラスとして、シカゴ-マイアミ間に割引運賃の夜行便を就航しました。

 

国際線の拡大、他社に先駆けてハブ&スポーク方式を導入

1953年:シカゴ・アンド・サザン・エアライン社を吸収合併したことで、デルタ航空は初めて国際路線を獲得します(カリブ海およびカラカス行き)。合併後2年間は、デルタ-C&Sという社名が使用されました。

1955年:デルタ航空は他社に先駆けてハブ&スポーク方式の運航体系を採用しました。定期便で乗客をハブ空港まで運び、そこで乗客はほかのデルタ航空便へ乗り継ぎます。デルタ航空はアトランタ-ニューヨーク路線を獲得します。

1956年:デルタ航空の全機体の機首にレーダーが設置されます。

1959年:航空会社として初めてダグラスDC-8型ジェット機の運航を開始します。ジェット機の後退翼の外観に似た赤・白・青の三角形の「ウィジェット」がデルタ航空のロゴになりました。
 

コンピュータとジェット機の時代へ

C.E.-Woolman standing beside a plane

1960年:航空会社として初めて、コンベア880型ジェット機の就航を開始します。

1961年:アトランタ発ロサンジェルス行きの初めての直行便を就航します。デルタ航空は、カリフォルニア発モンテゴ・ベイおよびカラカス行きの路線で、初めてジェット機でカリフォルニア州とカリブ海を結びました。死亡事故ゼロで110億旅客マイル以上を就航し、ナショナル・セーフティ賞を受賞しました。

1962年:「瞬間」予約のためのエレクトロニックSABREシステムを開始します。デルタDC-8型機は、民間航空機として初めて、ロサンジェルス-アトランタ間を3時間未満 (2時間57分11秒) で飛行しました。

1964年:IBM 7074コンピュータによる「デルタマティック」予約システムが始動します。

1965年:ダグラスDC-9型機の運航を開始した最初の航空会社になりました。

1966年:デルタ航空の創立者であるC.E.ウールマン死去。チャールズH.ドルソンが、デルタ航空の第2代CEOに就任します。農薬散布事業を廃止。ロッキードL-100型ヘラクレス機による貨物サービスを初めて運航しました。

1968年:デルタ航空の創立者C.E.ウールマンを記念し、「1925ハフ・ダランド・ダスター機」を修繕し、スミソニアン博物館に寄贈しました。
 

順調に迎えた50周年

1970年:全保有機材がジェット機になり、ボーイング747型機の就航を開始します。

1971年:W.T.ビービが会長兼CEOに就任します。「デルタ・ダッシュ」(小包向け貨物サービス)を開始します。

1972年:ノースイースト航空がデルタ航空と合併します。デルタ航空は、ニューヨークおよびニューイングランドからフロリダへの直行便を就航し、ニューヨークおよびボストン地域における一大航空会社となりました。ボーイング727型機の運航を開始します。

1973年:L-1011トライスター機の運航を開始します。

1975年:航空会社として最初の自社独自の航空速達サービスを開始します。この「デルタ・エア・エクスプレス」は、輸送優先順位の高い、保証付きの新しい貨物サービスでした。

1978: 航空事業規制撤廃法案が可決。デルタ航空は、アトランタ発ロンドン行きの大西洋路線を就航します。デービッドC.ガレットがCEOに就任します。

1979年:旅客サービス50周年を迎えました。西ドイツのフランクフルトへ就航を開始します。1カ月間に1都市で(8月にアトランタで)100万人の旅客が搭乗した史上初の航空会社になりました。

Flight Attendant in 1975-1978 serving passengers

サービスと路線の拡大

1980年:1980年代の初めにコンピュータ予約システム(CRS)が開発されます。

1981年:「フリークエント・フライヤー・プログラム」(1995年に「スカイマイル」に改称)が開始されます。

1982年:デルタ航空の財務損失後、社員は減給によって3,000万ドルの資金を募り、最初のボーイング767型機を購入します。この機は「スピリット・オブ・デルタ (The Spirit of Delta)」と命名されました。

1984年:「デルタ・コネクション」プログラムを通じて、地方の提携航空会社との結びつきを強化しました。ハワイ路線が就航されました。

1987年:ウェスタン航空と合併し、デルタ航空は米国第4位および世界第5位の航空会社になります。アトランタ発オレゴン州ポートランド経由東京便で、初めての太平洋路線が運航されました。ロナルドW.アレンが会長兼CEOに就任します。

1988年:アジア拠点がオープンされました。

グローバル規模の航空会社へ

1990年:米国でMD-11型ジェット機を運航する最初の航空会社になりました。デルタ航空、ノースウェスト航空、TWAの予約システムを連結し、「ワールドスパン(WORLDSPAN)旅行情報サービス」を開設しました。1990~91年の「砂漠の嵐」「砂漠の盾」作戦では、デルタ航空と民間航空会社23社が「民間予備航空輸送部隊 (CRAF)」に参加し、旅客および軍用貨物の輸送にあたりました。

1991年:デルタ航空はパンナムの実質的にすべての大西洋路線とシャトル便を買収し、これは航空産業史上で最大規模の買収となりました。こうしてデルタ航空はグローバル規模の航空会社になります。

1994年:1995年度第4四半期に収益性を回復します。

1995年:「スピリット・オブ・デルタ」機が五輪カラーに塗装され、再び活躍します。デルタ航空は1996年の五輪百周年記念大会のオフィシャル・エアラインに任命されました。デルタ航空は、長・短距離路線の主要航空会社として最優秀と評価され、「J.D.パワー賞」を受賞します。デルタ航空は米国の航空会社で初めて自発的に全便を禁煙としました。

1996年: 五輪をテーマに塗装された新型MD-11ジェット機「センテニアル・スピリット(Centennial Spirit)」を披露しました。この航空機は1996年のアトランタ五輪のために、ギリシャのアテネからロスアンゼルスへ聖火を運びました。お客様はデルタ航空のウェブサイト「スカイリンクス(SkyLinks)」で航空券の予約と購入を行えるようになりました。フロリダ州オーランドを拠点とする旅客サービスにより、格安航空会社「デルタ・エクスプレス」社を新設します。 1997年にレオF.マリンが社長兼CEOに就任します。デルタ航空は、年間搭乗者数1億人を突破した最初の航空会社になりました。米国-ラテンアメリカ路線の拡大に着手します。機体に新しい外装が導入されます。ボーイング777型機を購入しました。

1998デルタ航空とスイスカーゴ社が、初の国際貨物便の提携を結成します。航空会社で最初に全機体に自動除細動器を設置しました。国際便のファーストクラスとビジネスクラスを1つに統合し、高級シートのセクション「ビジネスエリート(BusinessElite®) 」にしました。

1999年:「エア・トランスポート・ワールド(Air Transport World」誌がデルタ航空を1998年の最優秀グローバル航空会社に選びました。さらに「アヴィエーション・ウィーク・アンド・スペース・テクノロジ(Aviation Week And Space Technology)」誌はデルタ航空を1999年の最も経営の優れた主要航空会社に選びました。

MD-11 olympic plane

デルタ航空、世界的な航空連合を創立、ノースウエスト航空を買収

2000年:デルタ航空は、アエロメヒコ、エールフランス、大韓航空と連携し、世界的な航空連合「スカイチーム」を結成します。また業界最大規模の注文となる域内運航用ジェット機500機を発注します。新しい航空機の外装と現代的な「ウィジェット」ロゴが導入されました。「スカイリンクス」に代わり、デルタ・ドットコム(delta.com)ウェブサイトを開設します。搭乗者数は1億2,000万人に到達しました。

2001年:9.11のテロ後2日間にわたり米国領空が封鎖されました。6年ぶりの財務損失を計上します。ユタ州ソルトレーク・シティまでの2002年五輪聖火リレーのために、ギリシャのアテネからアトランタへオリンピック聖火を輸送しました。

2002年:デルタ航空のハブ空港であるソルトレーク・シティで開催された2002年冬季五輪でスポンサーを務めました。技術が進歩し、チェックイン・キオスク、ゲート情報システムの拡張、「デルタ・ドットコム」での仮想チェックインなどを通じて、お客様に利便性を提供できるようになりました。デルタ航空、エールフランス、アリタリア、チェコ航空は、大西洋路線の運航スケジュールと価格設定について、独占禁止法適用除外(ATI)を認められました。

2003年:ユニークな格安航空子会社の「ソング(Song®)」社を設立します。業界に先駆けて搭乗手続きの新たなモデルを採用しました。例えば、ロビー・デザインの変更、キオスク端末の幅広い活用、直通電話コーナー「デルタ・ダイレクト」の導入、ロビー・アシスタント・スタッフ、人々の流れを改善するための新たな標識とプロセスなどです。コンチネンタル航空およびノースウエスト航空と最大規模の国内コードシェア便の提携を実施しました。デルタ航空は、米国の航空会社で初めて、事前録音された音声フライト情報を搭乗ゲートで提供するようになりました。

2004年:ジェラルド・グリンシュタインが第7代CEOに就任。旅客サービス75周年を迎えるとともに、伝統的な「ウィジェット」ロゴに回帰しました。手荷物、貨物、郵便の新しい自動積載指示システムを導入し、フライトやゲートのリアルタイム情報を表示するタッチスクリーン・コンピュータを手荷物移送トラクタにも搭載し、またお客様にシート・ゾーン別に時間差を設けてご搭乗いただくシステムによって、顧客サービスとランプ業務の効率性が向上しました。ノースウエスト航空とコンチネンタル航空が正式メンバーとしてスカイチーム航空連合に加入しました。

2005年:「クロックワーク作戦」は、航空史上最大規模の日間運航スケジュールの再編成です。変更はアトランタおよびダラス (フォートワース空港)便で行われました。デルタ路線網の51%以上が、より定刻どおりの出発、空港の混雑緩和、路線拡張のための機材確保を目的に再編されました。9月14日、米国破産法11条適用による再建を申請しました。11月、デルタ航空は自社史上最大規模の1か月間での路線拡大に着手し、ラテンアメリカおよびカリブ海に7つの新路線を就航しました。

2006年:新たに直行便124路線および発着空港41か所を加え、どの世界的な航空会社よりも多くの目的地に就航するようになりました。国家安全委員会により航空会社としては初めて、2006年の「職場安全の産業リーダー」と認定され、またJ.D.パワーの顧客満足度調査では、全般的な顧客サービスのランキングでネットワーク航空会社の第2位になりました。「ビジネス・トラベラー(Business Traveler)」誌読者により、「最優秀マイレージ・プログラム」「最優秀航空会社ウェブサイト」「最優秀エアポート・ラウンジ」に選ばれました。また、この年の4月30日にはソング社が最終便を運航。デルタ航空はニューヨークJFK空港を主要な国際ハブ空港に変換する計画を発表します。アトランタ発セネガルのダカール経由ヨハネスブルク行きで初めて南アフリカ路線を就航しました。

Richard Anderson speaking

2007年:リチャード・アンダーソンがデルタ航空の第8代CEOに就任。USエアウェイズによる敵対的買収の企てを打破し、予定より1年前倒しで再建計画を完了し、4月30日付けで破産法から脱却し、5月3日付けでニューヨーク証券取引所に再上場を果たしました。
同年、定時運航ランキングで全ネットワーク航空会社の首位になります。J.D.パワーは、デルタ航空をネットワーク航空会社の顧客サービス部門の第2位に2年連続でランクしました。またエールフランスとの大西洋路線の合弁事業を発表します。米国とEU間のオープンスカイ協定の締結によって、デルタ航空はロンドンのヒースロー空港への乗り入れが可能になり、まずアトランタおよびニューヨークJFK空港発の便より、運航が開始されました。

2008年:デルタ航空がノースウエスト航空を買収したことで、世界各地に主要拠点を展開する世界的な航空会社が誕生しました。デルタ航空は新会社の株式の約15%を社員に交付しました。米国の航空会社として初めて、国内主要路線の機内にWi-Fiを搭載すると発表しました。また西海岸全域でお客様の乗り継ぎを増やすために、アラスカ航空とのコードシェア便およびマーケティング協定を拡大しました。

2009年:旅客サービス80周年。エールフランス-KLM社との大西洋路線の合弁事業拡大が発表されました。ロスアンゼルスとオーストラリアのシドニー間に直行便を就航したことで、米国で唯一6大陸に運航する航空会社になりました。ノースウエスト航空のフリークエント・フライヤー・プログラムである「ワールドパークス(WorldPerks)」が「スカイマイル(SkyMiles)」に統合されたことで、メンバー数7,400万人を超える世界最大のロイヤリティ・プログラムが誕生しました。240か所以上の国内空港において、ノースウエスト航空に代わり、デルタ航空ロゴでブランドが改められました。

2010年:デルタ航空は、2013年までに顧客エクスペリエンスの向上に20億ドル以上を投資する計画をはじめ、10年間で最大規模の商品アップグレードを実施すると発表。例えば、すべてのワイドボディ機へのフルフラット・ベッドと個人用シート内ビデオの設置、デルタ・コネクションのローカル路線運航用ジェット機へのファーストクラスの追加、新しいデルタ スカイクラブの開設、国内主要路線へのファーストクラス・シートの増設などです。またノースウエスト航空の空港システムおよび予約システムをデルタ航空のテクノロジ・プラットフォームへ統合する作業が完了しました。東京・羽田空港で国際便運航を開始する許可を取得。さらに12億ドルをかけてニューヨークのジョンF.ケネディ国際空港の施設を改装し、増築する計画も発表されました。

 

より詳しい沿革については、デルタ航空博物館のウェブサイト(英語)をご覧ください。

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